2012 年 5 月 8 日

便利だということ

                                                      田房絢子

最近、物騒な事件が多い。毎日ニュースを見るたび、新聞を開くたび、???が頭を駆け巡り、心が痛くなる。なぜこんな事件や事故がたくさん起こるんだろう。車には気をつけなさいとは言うけれど、後ろから突っ込んでくる車にはどう気をつければいいのだ。自家用車に乗るよりもずっと便利でお得!なんていう高速バスの謳い文句にはもう安心できない世の中なのだろうか。

でもそもそもの原因は「相手」がいるということを軽視し始めている世の中にもあるのではないかと思う。運転するとき、同乗者がいる。周りの車がいる。歩行者がいる。仕事をするとき、時には命を預かる相手もいる。自分の目の前には無数の命があるのだ。どんな形であれ決して失ってはいけない命が。多忙な生活に追われ、もしくは時間をもてあまし愛想が尽きて色を失ってしまったこの世であっても、間違いなく「命」は色濃く存在していることを忘れてはならないし、軽視してもならない。便利な世の中になればなるほど、命の重みも変化していないだろうか。車という鉄の塊は武器ではなく、人を安全に運び人を守る鎧でなければならない。安いお金でさらに便利まで手に入れることを当たり前と考える消費者の意識が、そこで働く人達の労働条件を過酷にし、「相手」よりも値段を優先する仕組みになっていることに気がつかなければならない。

便利すぎる世の中の仕組みをもう一度振り返り、世に起こる出来事を他人事で終わらせてはいけない。最近の悲しい出来事は、この世の中を見つめ直すべきだとの警鐘に思えてならない。個人にも、企業にも、自治体にも、国にとっても。