2012 年 5 月 11 日

「幸せ」

                                               学園長 杉野建史

東日本大震災発生から1年が過ぎ、被災地が復興に向けて力強く歩き出している。マスコミを通じて伝えられる被災地の様子に心が痛くなる。復興までにはまだまだ時間がかかる。改めてこの震災でなくなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災され復興に尽力されている方々に敬意を表する。

世間で起こる様々なことを見聞きし「幸せ」について考える事がこの頃多い。地球上で争い(戦争や紛争)が絶えることはないし、生物の絶滅に歯止めがかからない。日本でも経済的格差が拡大の一途を辿っている。そんな中でも人は時に「幸せ」を感じて生きていく。

私は旅行が好きで時間とわずかな貯金ができると旅に出る。旅で非日常の「幸せ」を感じることが多かった。この頃はその機会がめっきり減ってしまい、安齊さんが先日このスタッフエッセイに書いていたような「妄想旅行」に止まっている。しかし、それでも旅行雑誌やエッセイなどをみて楽しめるし、この頃はテレビの旅番組で妄想的に楽しんでいる。

海外を特集した番組を見て、その国がどこの国であっても感じることは「食に非常に喜び(幸せ)を感じているだろう」ということである。日本で流行っている“グルメ”ではなく、日常の食生活に大きな価値をおいている様に感じる。お国柄と言ってしまえばそれまでかもしれないが、お茶を飲む時間や食事をする時間を大切にしているように思うのだ。私はこれまでに数カ国に行っただけであるが、食にむかう現地の人の表情はだれもが幸せに満ちているように見えた。経済的先進国であっても、発展途上国であっても変わらないように思う。食べることは生きることに直結しているので、医学的な面から見ても「食」は重要で、日本では「食育」という言葉まで出現した。違った面から見ると食は「食文化」といわれるように文化的な面も持っている。私が感じる食の幸せは文化的な面が大きい。

自分がどれだけ日常の中で「幸せ」を感じているのだろう。鈍感になってしまい幸せが当たり前になってしまっていないだろうか。1日3回の食事に感謝するとともに幸せをかみしめる。「幸せ」が身のまわりにある自分の生活のように、世界中の人たちの周りに「幸せ」がある生活をと心から願う。