2014 年 4 月 17 日

「新しい年」と自分なりのこれから

亀貝 一義
1月よりも4月が「新年」に思える。
3月、これまで何年かつきあっていた人たちと「卒業」や「離任」「引っ越し」などで別離を余儀なくされる。そして4月、新しい出会いがたくさん生まれる。新らしい生徒たち、その他いろいろなところでの新しい出会いなど。3月の寂しさは忘れ、新しい出会いによって心が高まる。
(わが学園では今年は今のところ、スタッフの大きな入れ替えはない。)
年々子どもの数が減っていく。新入生も減ってくるかも知れない。しかし今のところわが学園は、中学生のフリースクールと、高校合わせて140人ちかい生徒を擁する。着実に「発展」形をたどっていると言える。フリースクールが20年、高校は5年の歩みを重ねている。
新しい年の始まりを確認することは同時に自分の未来が着実に減少していくことを確認することでもあろう。若干寂しさを感じさせる文になるのだが…。
今日の朝日新聞の「天声人語」は、アメリカの詩人ウルマンの「青春」を引用した思いを載せている。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」と続く。
若さと元気は、手っ取り早くいえばまず「歩く」ことが土台、仕事などでの「目標」(上でいう理想)が灯火か、家族を含めてそしていろいろな人とのふれ合い、そういったもろもろが生きがいにつながっていくのだろう。
今日高齢者の割合がどんどん高くなっていくと報道されている。いわれなくとも分かっているが、じゃあどうするのか、自分なりに元気で、自分の役割を積極的にすすめることだろう、かと思ったりしている。