2015 年 3 月 1 日

「新教研」(自由が丘)運動をともに創った鈴木秀一さんの死

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義

多くの教育に関係する人にとっては忘れられない人だと思います、鈴木秀一さんという人は。
この鈴木さんが2月26日に逝去され(ガン系の病気だと聞いています。85歳)、家族葬等すべて終わってしまったところで私も知ることができました。そして「自分の死に関することがら(葬儀やその後の「偲ぶ会」的なもの)は無用」という意志を伝えていたそうです。

私にとっては忘れることができないお一人でした。札幌自由が丘学園運動を創設したいわばグループのリーダーであった人です。北大名誉教授の肩書きをもっていたことから分かるように元北大教育学部長だったし、私が学生時代に、北大に赴任してきた少壮気鋭の青年教師でした。

私が札幌自由が丘学園運動のきっかけを創ったのは、1986年4月4日、北大教育学部の鈴木秀一教授研究室で「今の教育状況に対してある種の問題提起ができないものでしょうか」と相談かたがた懇談しあったことでした。これをきっかけにして「新しい教育・学校をめざす研究会」を結成しました。鈴木さんが代表、私は事務局長に就任し、月1回の研究会(新教研)を行ってきました。この中で、「ただ議論するだけではなく実際に学校づくりをすすめよう」というグループの討議のもとで、「清水の舞台から...」の気持ちで私は高校教員の仕事を辞め札幌自由が丘学園づくりに進んだのは1990年のことです。そしてほぼ同時期、鈴木さんは北大から(多分行動しやすくしたいという理由だったと思いますが)私立大学に移籍されました。

1990年5月19日、北区のサンプラザで「鈴木秀一・亀貝一義 両先生を励ます会」を、当時の道中小企業家同友会の大久保尚孝さん、北大教育学部長の高村泰雄さんなどの呼びかけで開いていただきました。今となってはそういう過去のイベントを私たち二人のその後の意味の再確認として思いを深くするところです。144人もの方がたの参加をいただきました。

2013年11月1日の札幌自由が丘学園創設20周年記念行事で、ステージで語り合った菊地大さんや吉田弘さんが草創期の仲間でしたが、このトップが鈴木秀一さんでした。

(鈴木さんの功績はもちろん自由が丘運動への貢献だけではありません。いわば北海道の民間教育運動の総括的なリーダーでもあったことを特筆しておきます)。

札幌自由が丘学園の活動を展開していく中で、鈴木秀一さんが代表を務めていた「北海道自由が丘学園をつくる会」とは、種々の理由で事実上袂(たもと)を分かつことになっています。しかし鈴木秀一さんとの出会いがなければ今の札幌自由が丘学園は、多分なかったかも知れません。そういう意味では、鈴木さんの死に対して感慨無量のものがあります。

※ なおどこかの時期に「偲ぶ会」的な集いが鈴木さんの「教え子」諸兄たちによって企画されるかも知れないとのことです。