2015 年 3 月 24 日

ヤンキーA君とにんじんゼリー

フリースクール札幌自由が丘学園 スタッフ

新藤 理

 久しく食べていないけど時々懐かしくなる食べ物の一つに、にんじんゼリーというデザートがある。原料はにんじんだけど、色も味もオレンジゼリーに似ていておいしい。久しく食べていないのは、なぜか学校給食でしかお目にかからないメニューだからだ。

 中学3年生のとき、教室の壁に貼ってあった「給食だより」の中でにんじんゼリーの作り方が紹介されていた。休み時間にぼんやりとそれを眺めていると、いつの間にか隣にA君が立っていた。Yシャツのボタン全開で、校則違反の茶髪リーゼントをふわふわさせて。
 今よりずっとマジメで気弱だった中3新藤は、普段ほとんど言葉を交わすことのないヤンキーA君の不意の登場に、大いにびびった(余談だが「びびる」というのは「驚く」「焦る」「萎縮する」「恐怖を感じる」といったニュアンスがぎゅっと凝縮された、実に便利な単語だと思う。正式な日本語になる日もきっと遠くはない)。びびって、不自然なほどに全身をビクッとのけぞらせてしまった。A君は「んだよ、そんなびびんなや!」といつもの調子で言う。僕があいまいな表情で(内心おびえながら)黙っていると、A君も黙ってしまった。
 「...うまそうだよな、これ」
 先に口を開いたのはA君だった。
 「え!? あ、ん、うん」
 「なんか、こういうのさ、自分で作れたらよくねえ?」
 「ん、うん、そう...だね...」
 その後もしばらく二人で黙って給食だよりを眺めていたが、やがてA君はフラリとどこかへ行ってしまった。たまり場の男子トイレに向かったのかもしれない。
 いろいろな思いにとらわれて、私は給食だよりの前から動くことができなかった。

 何とも取るに足らない光景だ。おそらくA君は覚えていないだろう。でも、気のせいかもしれないが、A君はあのときなぜか少し寂しげで、そのことが私は今でも忘れられない。

 ヤンキーにはヤンキーの、マジメ君にはマジメ君の、校内での「決められた立ち振る舞い」というものがある。もちろん生徒手帳にはそんなことは書いていないけど、それは校則以上に中学生たちの言動を規制する、不思議な呪縛力を帯びたものだ。あるいは鎧(よろい)のようなものと言ってもいいかもしれない。ヤンキーはいつも威勢よく、周囲を見下ろしながら在らねばならない。マジメ君はヤンキーたちの気に障るような言動を取らないことを前提に、同士たちとともに平和な盛り上がりを模索しなければならない。暴走族の活動が今よりはまだ盛んだった当時、そうした棲み分け・色分けは傍目にもわかりやすいものだった。
 「うまそうだよな、これ」と言ったA君の表情とトーンは、しかし、ヤンキーのそれではなかった。なぜそんな無防備なひと言をポツリとマジメ新藤に向かってつぶやいたのか、今でもよくわからない。にんじんゼリーがそんなにもおいしそうだったのか。ただ、あのときのA君が「決められた立ち振る舞い」から逸脱していたことは確かだ。まっさらなA君の姿、ヤンキーの鎧をはずしたA君の姿を、私は見たのだ。
 あの日以来、A君と新藤は何でも話せる仲になり...なんて美談では、ない。その後の新藤は受験勉強に追われて日に日に眉間のシワを深くしていくばかりだったし、A君は相変わらずの茶髪リーゼントだった。でも、だからこそ今でも思い出し、そしてちょっとだけ悔やんでしまう。あのとき、あからさまにびびってしまったこと、そして「うん、おいしそうだよね、ゼリー好きなの?」くらいの返事すらできなかったことを。

 マジメの鎧。ヤンキーの鎧。サラリーマンの、教師の、保護者の鎧。子ども大人も、人はさまざまな鎧で身を守って生きている。でも、24時間装着していると、気づかないうちに全身がバキバキになる。
 自由が丘の生徒たちが、あのときのA君のように、少しでも鎧を軽くして過ごしていてくれれば、と思う。そして、同じく鎧をはずした仲間に「いっしょにゼリー作って食べよう」と語りかけられる仲になってくれたら、なお嬉しい。