2015 年 3 月 23 日

踵が上がる自由度」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

スキーというものは、斜面を滑るための道具だ。
「スキー」というと、ゲレンデでリフトを使って登り、斜面を滑ることを楽しむ、「ゲレンデスキー」と呼ばれるスキーを一般的には思い出すだろう。
ゴンドラや高速で登る4人乗りのリフトや等、私が小さい時には考えられなかったような素晴らしい施設が各スキー場には整えられている。子どもたちや大人が週末などを利用して、時間を忘れて楽しく過ごしている。
しかし、案外、そうでない様子も一方では見られる。週末にスキーをしにスキー場に来た家族が、スキー場の駐車場に到着するや、親は子どもたちに呆れたり、疲れたりした様子で、子どもたちを叱りつけている光景を、なぜか目にすることが多い。おそらくは、子どもたちがスキーに行くための準備を自分たちでしようとしなかったりしたこと等が原因だったのだろうか。
せっかくの週末を家族で楽しくスキーに来ているのに、残念なことだと思う。自分が子どもの頃にスキー場に親と行けるということは滅多にない、非常に贅沢なことだった。子どもたちも前向きにスキーに取り組もうとしてもおかしくはないはずだ。そして、親自身も、もっとスキーに来たことを楽しみにしていていいのではないだろうか。

私自身がスキーの乗り始めたのは、小学校に入る頃だった。
今から約40年ほど前の道具で、家も裕福ではなかったので、今のスキーとは比較にならない粗末なスキーを使っていた。
滑走面は、完全に木だった。ワックスだなんて洒落た物はないので、ロウソクを必ず塗ってから滑った。毎回塗らないと、雪が滑走面にこびりついて滑ることができなくなったものだった。
スキー靴も使わなかった。長靴を履いたまま、前半分を皮でできたベルトに差し込んで、もう一方のベルトを靴の踵側に回して締め付けていた。踵は固定されず、浮き上がるようになっていた。
ストックは確か、竹でできていた。2本揃う時もあれば、兄が使っている時は本数が足りなくて1本のストックを両手で持って、それで特に不自由も感じずに使いこなしていたように思う。
子どもの頃、スキーの役割は、斜面を滑ることよりも、主に平地の移動だった。
自転車が使えない冬場は、子どもは行動範囲が狭くなるが、スキーを使うと、楽しみながら、より遠くに行けるようになったので、子どもにとっては貴重な移動手段だった。
自分の家からスキーで出発して、仲間が集まっている斜面まで行き、斜面を滑って遊ぶ。リフトなんてないし、圧雪もされていないから、新雪の斜面を滑ったら階段登降で圧雪し、自分たちで徐々にゲレンデを広げていき、また滑る。徐々にスキー場ができていくので、徐々に仲間も増える。スキーに飽きたら、すぐにスキーを脱いで長靴のまま遊べた。尻滑りや柔らかい雪の上での空中回転など、スキーを中心とした雪まみれになる遊びを、子どもの頃に思う存分に楽しむことができていた。時間を忘れて、暗くなるまでたっぷり遊んだものだった。

私が中学に上がる頃にはスキー場もかなり整備され、各家庭が車を所有するようになっていた。
スキーの道具も目覚ましく進化して、ワンタッチで踵も着脱できる金具流れ止め、足首をしっかり固定できる現在のスキー靴と同様の物が登場して、どれも画期的だった。それまで滑ることが難しかった急斜面などもスムーズに滑ることができるようになった。私もそんなゲレンデスキーの素晴らしさに夢中になった者の一人である。そのせいか、私の世代の子どもたちはスキーの滑走技術を身につけることには非常に貪欲で、パラレルやウェーデルンができるようになることは、友達との間で大きな勲章だった。家は貧しかったが、他の物を買わなくてもいいから、性能のいいスキーだけは何とかして購入してもらおうと親に懇願していた。
ところが、私の息子と娘などは、上手に滑るようになりたいとはほとんど思わず、楽しんで滑ることができればいいと割り切っている。何度も滑り方を直して、上手に滑ることができようにアドバイスしてやりたかったが、息子たちは本当に関心がなかったようだ。スキーに対する思い入れは自分の時代とは異なっているのだろうか。

私が子どもの頃は苦労して苦労して近くの斜面まで踵の上がるスキーを使って移動して自分で圧雪してスキーを楽しんでいた。
しかし、文化の発展と共に、車で移動して、リフトを使ってより高い山に登って、より発達した道具で急斜面を滑ることができるようになった。
今考えると、自分達の世代は、文化の発展とリンクしながら自分の成長も感じることができた、これはこれで非常に恵まれた世代だったのだろう。
私は結局、ゲレンデスキーでは飽き足りず、再び踵の上がるクロスカントリースキーに没頭するようになり、47歳になった今日でも童心に帰って毎週スキーで外遊びを楽しんでいる。今年の2月に行われた湧別原野85kmスキーマラソンにも出場して4時間台でゴールすることができた。人生は全て学びで、生きている限り成長し続けることを改めて実感した。これらは用具の進化と共に自分の成長を噛み締められたことも影響しているかもしれない。

今の子どもたちも、本当は、自分の手の届く範囲で、自分のやりとげられる範囲の中で達成感や冒険心を高めながら自分のペースで成長していきたいのだろうと思う。しかし、可哀想なことに、現代社会で道路でスキーに乗ることは、間違いなく咎められてしまうことだ。また、通常の靴で履けて、踵が上がる自由度の高いスキーは一般的には存在しない。つまり、多くの場合、スキーは、スキー場でしかできなくなってしまったのだ。また、近所の坂で遊んだとしても、スキーを脱げば足首が固定されてしまっているので、まともに歩行することもできない。だから、大人が用意した自家用車で連れて行ってもらえない限り、子どもたちはスキーを楽しむことができないのだ。自分がスキーで遊びたいと思った時にはできず、週末なって今日はスキーに行きたくないと感じても、親との約束は守らねばならない。秩序のあるスキー場では尻滑りも空中回転もできない。型にはまった遊び方はできても、子どもが本当にしたいと思っている「雪にまみれた遊び」はなかなか実現していかないのだ。そのような中で、大人が想像するスキーと、子どもが経験してきたスキーとではズレが生じているように思えるのだ。

私たちから考えて、たくさんの「良い」と思われる条件を整えたレールを子どもの前に敷く。
子どもたちは喜んで、主体的にこのレールに乗っている場合もある。
しかし、ここはいつも噛み合っているとは限らない。
このレールと、子どもの本来の歩みにズレが生じることがある。

若者にはレールがなければ指針を見失うので、道を見失うことがある。
しかし、指針が形骸化して義務的になれば、今度は歩みの自由度を失う。
学習には動機づけが必要だが、義務感が動機づけとして先行する学びとは何なのだろう。
現在の学校教育がその端的な例である。
学習指導要領は学びを進める上で指針として重要だ。だから、方法を示すためのもので「要領」と読んでいる。しかし、法的に拘束力を持たせた時点で、子どもの心からは遊離してしまった。
優れた方法で指導するための子どもには秘密の虎の巻だったのに、拘束力を持たせることで、教育内容や子どもを枠にあてはめて身動きが取れない状況をつくってしまっている。踵が上がることをゆるさなくなってしまったために、制限のある、自由度が低い活動しかできなくなっているのだ。

秩序が多く、何事にも制約が多くなってしまった現代に、もう一度踵の上がるスキーを復活させることは非常に難しいことである。しかし、こんな話を書いている内に、何だかこの金具が欲しくなってきた。
「カンダハー」と呼ばれていたこの締め付け具、まだ通信販売などで売っている。
このスキーで自宅の江別から札幌までの冬の通勤を毎日通うことができれば、巷で話題になり、道路交通法も見直され、ひょっとしたら北海道の冬の市民の脚として浸透する時代がくるかもしれない。

よし。来年のフリースクールのスキーの授業は、「カンダハー」で通学することからはじめよう!(本当か?)

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 ↑「カンダハー」と呼ばれていた締め付け具。