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2018 夏の思い出

桑名八重

今年のお盆休み、スタッフはちょっと長いお休みでした。(カレンダーの関係で全員有給取得で長くしました)

さて、長いお休み何しようかな~と始まるまではわくわく考えています。
我が家では真夏のあっつい中、本州への帰省はしない!
わざわざ高い時期に海外やリゾートにも行かない!

ということで結局、前半は田舎の親戚宅に滞在です。しかし、滞在中ほとんど雨・・・。家族ゴルフ(私は行きませんが・・・。)は豪雨の中で行い、予定の庭仕事も進まず・・・。

子どもたちは家の中でストレス爆発。イライラがピークに。                         わがまま言いまくりのちびに、文句たらたらの小学生。
それを見ていた祖父母世代は「まあ、普段一人っ子なんだからこういうのも経験さ~」と笑ってました。
確かに、子ども同士の喧嘩って理不尽だらけです。そんな中でかなり忍耐とか、痛みとか学びますね・・・。
たま~に従兄弟同士必要な時間ですね。

お盆休み後半。
家族の大半は仕事の中、私は友人と遊ぶ約束です。年に数回お泊りです。

2泊3日のうち、2日間博物館に行きました。ほとんど私の趣味です。

1日目は三笠市立博物館。アンモナイトがメインの博物館です。今回は特別展もあります。
雨の中到着すると「こんなに人いるのはじめて見た!!」と失礼な感想を抱いてしまうくらい大盛況!
夏休みだし、お盆ですしね。レンタカーも多いです。
ちびっ子たちは恐竜の骨格や大きなアンモナイトに大興奮です。
特別展、小さなスペースながらとても充実。楽しい!
お天気がよければ野外博物館も行きたかったのですが、今回は断念。
何度行っても面白い博物館です。

20180816_115533.jpg

2日目はお手軽に北海道大学総合博物館。お目当ては前日の続きで恐竜の展示。
しかし、そこにたどり着く前にちびっ子たちはあちこち興味を惹かれるものがたくさん・・・。
各学部の紹介では触ったり、操作したり。
そこに興味を持つか・・・。と親としては意外な発見があったり。
見るだけでなく、触れるって大事ですね。
また、紙飛行機の実演をしてくださる方がおり、一緒に紙飛行機を作成。人生で初めてちゃんと飛ぶ紙飛行機が作れました。これには大人のほうが感動!!・・・ただ、また自力で折ることは難しい。
いろいろな展示のある北大博物館。その時々で興味は違うので、何度でも行きたい場所です。

20180817_114913.jpg歯医者さん好きのわが子は歯科実習の模型にはまりました

今回のお盆休み、近場でいろいろ楽しみました。
子どもが付き合ってくれるうちにもっと一緒にあちこち行こうと思います。

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網走へ

安齊

網走には過去に4年間住んでいたことがあります。小学校6年生から中学3年生まで過ごしました。多感な時期のこの4年間は楽しいことも嫌なこともあり、でもたくさんのことを吸収した日々だったと思います。

部活もやったし、遊んだし、友だちが家出したり、早朝や夜中に海行ったり、流氷に乗り渡って遠くに行ってみたり、塾に通ったり、駅伝に出たり、怪奇現象の起こる不思議な家に住んだり・・・思い出いっぱいです。

そんな思い出の地に2歳の我が子を連れて遊びに行ってみました。

メインはお祭りのつもりでしたが、網走湖でカヌーにも挑戦!!

小さなパドルを貸してもらい、たくさん漕ぎました。緊張して口数は少なかったですが、オジロワシやカモ、コイ、トンボなど見つけては目をキラキラさせ、大自然を満喫したようです。札幌にいると公園程度でしか自然と触れ合う機会がなく、そんな時間もあまり作れなかったりするのでとても楽しい時間でした。

お祭りは、食べたり飲んだりではなく、バイクショーの迫力がありすぎて、そっちのほうが印象的だったようです。

昼から夕方までの半日だけだったので今回はこのくらいでしたが、網走含めて道東は、行きたいところややりたいことがたくさんあります。知床の観光船にも乗せたいし、網走監獄もおもしろいし、釧路川でカヌーしたいし、秘湯もたくさんまわりたい!

住んでいるとあたりまえだったので離れてよさがわかってきた気がします。

でも遠い・・・。

そして、我が子に自然体験をたくさんしてほしいけど、虫が好きじゃないんだよなぁ・・・。

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1945年8月13日

高村さとみ

 お盆前、函館の祖父母を訪ねました。これはその時に父方祖父が話してくれたことです。1945年8月13日頃の話と思います。祖父は函館生まれ、函館育ちで今年90歳になります。戦時中は海軍予科練習生(15期)として茨城の土浦にいたそうです。

 160名で千葉に演習に行き、土浦に戻ろうとした時のこと。駅の都合で次の日の朝まで列車は出ないことがわかった。上官の命令で明朝集合、それまで解散となったが駅は人でごった返していて待合室は使えない。まだ10時くらいのこと。その辺で待機するしかないと思ったが、上品な女性が「うちで休んでいってください」と声をかけてくれ、6人でついて行くことにした。女性はもっと大勢で来てもいいと言ってくれたが、もし食料を分けてくれるとなった時に一人当たり分が多い方がいいと思い、6人で女性の家に向かった。駅から歩いて4、5分。門から玄関まで30mほどもある、絵に描いたような豪邸だった。自分たちは上がらない方がいいのではとためらっていると、女性は母と姉を呼んできて勧められて家に入った。女性は母と姉のことをお母様、お姉様と呼んでいて、また何て上品なのだろうと思った。
 当時の食糧難の状況では考えられないことだが、自分たちのために白米を炊いて出してくれた。この時期に白米を、しかも初対面の自分たちのために出してくれるなど、よほど裕福な家だったのだろう。風呂にも入るように勧めてくれた。しかしここで東京出身の仲間が警戒しだした。警戒心の強さはさすが、東京の者らしい。裸になったところを襲われるかもしれない。そう考えて2人ずつ風呂に入った。
 結局その後も何もなく、朝の5時。豪邸でもてなしを受けたことをみんなに自慢できると考えながら駅に戻った。しかしここで仰天した。駅には人がおらず、一緒に演習に来ていた160名もその荷物もない。驚いていると、No.2の立場である佐藤少尉がやってきた。前の日の夜9時に臨時列車が出ることになり、みんなそれで移動した。佐藤少尉は明朝集合、と命令をした立場なので6人を探しながら駅で待っていた。一体どこに行っていたんだと怒られたが、明朝まで解散と言ったのは佐藤少尉ではないかと言い返した。それから土浦へ移動したところ、荷物を抱えた同期とすれ違った。終戦。家に帰れるのだとその時聞いた。
 函館に戻る途中、たまたま苫小牧出身の者と出会い戦争に負けたことの切なさを語っていると、その者がこう言った。「その切なさはこれから良い思い出になるから、決して忘れてはいけない」
 女性の家を訪れた6人の中に、茨城出身の者がいた。戦後の生活が落ち着いた頃、女性に改めてお礼を伝えようとその者は千葉に行った。駅から踏切を越えて右に曲がり2、3本目の道のあたり。道順を覚えていたのに豪邸は見つけられなかった。2回、一日がかりで探したが、やはり見つけられなかった。

 最後はまるでキツネに化かされた昔話のようで、真相はどうなんだと不思議に思ってしまいます。しかし、祖父にとっては不思議なことなど何らなく、あの時白米を出してくれたことの感動や駅に人がいなかった時の衝撃の方が印象に残っているようです。お盆前に何ともいい話を聞くことができました。

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「台湾」に行ってきました

亀貝 一義

7月末、クルーズの旅ということで、横浜港を出て石垣(台風で沖縄を避けて)、そして台湾の基隆市の二つだけ陸地を歩いて、8泊9日のほとんどは船で過ごすというイベントを体験しました。大した嵐にも遭わなかった(避けた)のでホテル暮らしの感です。

台湾島は政治的には中国に属しているようですが、独立国のようでもあります。基隆(日本語読みでは「きりゅう」、台湾読みでは「キールン」)市は台湾第二の街ということで、ちょっと見では日本の大都市の中にいる感じです。

かつて1895年から50年間、台湾は日本の一部でした(日清戦争後、日本の「植民地」になっていた)。しかしこの間、日本が台湾人をひどく扱ったということもなかったのでしょうか、鳥居なども残っていました。「神社」があったかどうかは分かりません。

そもそも台湾というのはどういう位置にあるのか、どうもすかっとしません。中華人民共和国は「わしらの国の一つの島だ」と言っていますが、台湾では今は懐かしい「中華民国」の国旗が公的な機関には掲げられています。

バスガイドさんは、私たち日本人相手だったのか、きわめて流ちょうな日本語で、日本との関係はいいのです、と言っていました。そして将来の台湾はどういう方向に進むのか「分かりません」とのこと。

日本の企業も進出していますし、店の買い物も千円札で間に合います。しかし「外国」に行くということでパスポートを準備するということはありました。また行きたいか、と問われたら、多分違う国をあげるかも知れません。

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北海道の楽しい100人

高村さとみ

 4月に「北海道の楽しい100人vol.2」というイベントで話す機会があった。このイベントは2か月に1度、北海道でおもしろい活動をしている4名のゲストが15分で自分について語るというもの。もう何度も聞きに行っていて、その度に自分の知らない仕事や活動の話に刺激を受けてきた。まさか自分が登壇するとは!という気持ち半分、参加するたびに「自分だったら何を語ろう?」と考えてもいた。だから声をかけてもらった時には、新しいことに挑戦する時の興奮と緊張感があった。
 これまで保護者やフリースクール関係者の前で話をすることはあったが、このイベントに集まるのは異業種、異年齢の人々が150名以上。15分で語るにはかなり内容を厳選しなければいけない。基本的には自分を語る、なのだがせっかく大勢の人の前に立つのだから、伝えたいことを柱に据えて話そうと決めた。子どもがいる人もそうでない人もいる。不登校の子に関わったことのある人もそうでない人も。ひょっとしたら自分の子どもが不登校だという人も自分が不登校だったという人もいるかもしれない。さて何を話そうか―。
 まずは不登校について共通認識を持ってもらうために、「もし自分の子どもがこんな状況になったら...」という話をした。朝、お腹が痛くなる。「明日は学校に行く」と言うけれどなかなか行けない。昼夜逆転の生活になるかもしれない。親の不安な気持ちを想像し、自分だったらどうするか?を考えてもらった。おそらく車で送って連れていくとかゲームを取り上げるとか、そんなことを考えたのではないかと思う。そして今度は子ども側の気持ちの話。学校に行く、は学校に行かなければいけないという気持ちなのかもしれない。学校のある時間帯に起きているのはつらい。子どもも罪悪感を持っているのだと。あとは自分がフリースクールで働くことになった経緯や出会った子どものことなどを話した。会場のすべての人に共通して伝えたいことというのはかなり悩んだのだが、「大人は楽しい、という姿を見せてほしい」と伝えた。今不登校である子もしんどいと思いながら学校に行っている子も、大人の自由さ、楽しさがせめて希望になると良いと思った。
 かくいう私も日々の中で落ち込んだり、疲れたり、腹が立ったりすることは往々にしてある。しかし子どもと接する上で私自身が元気でいなければならないと思っている。元気になるための方法はまた別の機会に書くとして。今回の話が子どもをあたたかく見守る大人を増やす一助となれば良い。もちろんこうした活動を続けることが大切なのだが。

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「遠友夜学校」って知ってますか? ー 新渡戸稲造が札幌で開いたフリースクールの原型 ー

亀貝一義

新渡戸稲造という人は、5,000円札に描かれている明治期の人物です。岩手の生まれですが、札幌農学校を卒業したクラーク先生の「弟子」につながる人と言っていい人ですし、国際連盟の事務局次長として、世界平和のために活躍した人でもあります。
彼が、妻萬里子(メリー)夫人の実家から送られた遺産1000ドルを原資に、札幌の南4条東4丁目に学校を開きました。これは、主として経済的理由で学校に行けない子どもたちのために準備した夜学校で、「友あり遠方より来たる」から遠友夜学校と名づけました。
スタッフは今でいうボランティアで働く学生たちでした(主として北大の学生)。
この学校は1894(明治27)年から50年間続き、戦争が厳しくなった1944(昭和19)年閉鎖を余儀なくされました。。

私はこの学校こそ、今でいうフリースクールであったと思います。学びの場としてのフリースクールの原型が札幌で誕生したということは、非常に教訓的であると思いませんか。

北海道で最も古い歴史をもつフリースクール札幌自由が丘学園は、今年25周年を迎えます。遠友夜学校の経た歴史の、まだ半分の期間ですが、役割やスタッフの意味からほとんど共通の教訓をもっていると思います。意義を歴史的に確かめながらさらに貴重な教訓を創っていきたいものです。

※ この文は「希望の樹」の最新号の冒頭の文章です。その後、新渡戸稲造関連の集まりに出たこともあって、もっとこの文章に記した意義を広げたいという気持ちになりました。そういうことで「再録」ですがご理解ください。

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ha HA 歯のはなし

桑名 八重

スタッフブログにもちょこっと書きましたが、春はどこの学校も健康診断と歯科検診の時期です。

健康診断は学生のころよりも社会人になってからのほうがより詳しく行いますね。年齢が上がればさらに検査項目も増えていきます。がん検診とか。
学校で受けた健康診断、そんなに重要視していなかったな~というのが今の印象。大学生のころはサボりました。
学生時代の健康は「若さ」で乗り切っていた、と思います。
・・・社会人ウン十年目の今は違います。毎回ドキドキです。

さて、歯科検診。
皆さん、「要治療」とか「再検査」とか、「歯垢あり」とか。そういう健診結果どうしてました?

私の小・中・高時代、「虫歯あり」って結果については「治療」のため歯医者さんに行きました。
私にとって歯医者さんは治療する場所でした。
で、虫歯になってから行くので、常に痛い思いをしておりました・・・。
そのため、歯医者さんは鬼門です。極力近づきたくないんです。

高校卒業以降、歯科検診がなくなり、虫歯を自覚したときに歯医者さんへ1回行ったくらいです。

或る時、検診を受けておかなくてはという事態になり実に7年ぶりに歯医者さんに行きました。
それ以降、現在は3か月に一度通っております。いわゆる「予防歯科」です。
現在の歯科はいかに虫歯・歯周病を作らずに健康な口腔状態を維持するかという考えにシフトしているとか。そのための「予防歯科」です。
「8020運動」を国も進めてます。(80歳で自分の歯を20本維持する)

しかしショックなことにこの1年、私の歯はトラブル続きです。
噛みしめすぎで歯が割れ、想定外の場所に虫歯が発覚・・・。はぁ。とため息ものですが、これまでの経緯をも踏まえて治療方針を検討しているところです。

気を付けていても、やはり長年毎日使っている歯ですからトラブルになるんだな~と実感した出来事です。

歯って、「虫歯だよ」とわかっても今すぐ痛さでどうしようもなくなるってこともなく、歯医者も嫌だしついつい後回しにしがちですよね。
私もそうでした。特に若いころはやりたいこと、ほしいものがたくさんあって歯科治療は後回し、そっちが優先でした。

でも、歯は早くに治療しなくてはとつくづく思います。
ほっておいても良くはならない。それが虫歯です。

学校の歯科検診で「要治療」と謂われたらしっかり治療してください。
未成年のうちは親の責任として、歯医者さんに連れて行ってほしいです。

おいしく食事を摂る。健康な生活の基本です。
そのために、しっかりと歯の健康に関心を持ってほしいと思います。

春の健康診断。
元気に楽しく生活するため、健診結果にぜひ目を向けてください。

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強歩遠足にむけて

安齊

来月、5年ぶりに強歩遠足があります。復活!!

私の気持ちとしては・・・「いやぁ、待ってました!!」という感じ。

修学旅行や宿泊学習もいいけど、自分としては強歩も好きです。毎回とても印象的な行事。辛いけど、どこか楽しくてどこか晴れ晴れとした気持ちになる、そんな行事だと感じています。

私が高校の時は23キロのマラソンでした。ほとんど歩いて、おやつ食べて、終わったら豚汁を食べることができて・・・。高2のときは制限時間ギリギリラインを歩いていた記憶が。3年生は最後だから少し真面目に取り組んで頑張ったなぁ~という記憶。

ちなみに兄は72キロの強行遠足。朝4時スタートで大変そうだったなぁ・・・。

頑張ったことや辛かったことって残るんですよね。

辛かった部活の練習も残っています。勝った試合より悔しかった試合の方が残っています。

ラクしたことはたいした印象に残っていません。

何かを感じる気持ちって大事なんだなぁと思います。

何年経っても忘れない記憶や気持ちを作ることのできる強歩遠足は、この学校にとってとても大事な行事だと思っています。

ぜひ挑戦して欲しい、できた自分を褒めて欲しい、何かにぶち当たった時思い出して欲しい、私の思いです。

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一人だっていいじゃない

田房絢子

昨日、10年以上前の卒業生と久しぶりにゆっくり話す機会があり、

今の生活について色々聞いてきました。なにせ、ついこの間卒業というわけではなく、

毎日バリバリ働いている立派な社会人です。最近どんなことを考えているのか、

今何に興味があるのか etc...。お互い社会人同士、ここにいたときとは違う視点から

言葉を交わせることがとても楽しく、思い出深いひとときとなりました。

その中で趣味の話になったのですが、ここ数年で人生を変えるような出会いがあったそうです。

まさかそんなことにのめり込むようになるとは!と本人が一番びっくりしているようで、

生活の流れもアクティブになり、更に人付き合いも格段に幅広くなったとのこと。

話している間とってもキラキラしていて、心も体も充実していることがひしひしと伝わってきました。

人生や生活を捧げた趣味って本当にすごいなぁと、心から羨ましく思えました。

さて、そんな私を振り返ると、趣味は転々かつひろーく渡り歩いてきた気がします。

要するに飽きっぽいので、続かないのだと思います。食いつきは良いのですが・・・。

三日坊主というわけではないのですが、年単位で好きな事って何だろう?って自分でも疑問です。

でも今の趣味も含めて考えてみると、共通項がありました。

"一人で黙々と"。これだけ聞くと、すごい根暗な響きですよね(;_;)

ま、いずれにしても何かに打ち込むことは、とても良いことだと思います。

だから社交的だとか内向的だとか色々な見解はあるかと思いますが、

一人黙々とした趣味に心奪われ、時によそ見をしつつも技術を磨いて、

ただ飽きっぽい性格の特権としては、長い人生の中で一つでも多くのものに触れたいなと思います。

まだどんなことかも想像できないような未知なる一人黙々とした趣味に思いを馳せ、

そして人生を変えるような出会いも期待しつつ・・・。

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札幌自由が丘学園三和高等学校の第10期入学式での「式辞」(180420)

       校長 亀貝 一義

 札幌自由が丘学園三和高等学校に入学することになった生徒の皆さん、入学おめでとう。
 本日、新しく私たちの学校に入学することになった生徒は、月1・在宅学習コースが4名、全日の毎日学習コースが19名で合計23名です。
 本校の生徒数は、月1が合計で24名、全日が合計で47名。札幌学習センターの生徒数は合計で71名。そして東京学習センターの生徒たちが63名ですから、三和高校の生徒数は合計で134名です。

 たくさんある高校の中で、私たちの三和高校を選んでもらえて本当にうれしく思います。
 札幌自由が丘学園には、他にフリースクールがあります。今の在籍者は10名ですから、144名の生徒が札幌自由が丘学園の生徒ということで平成30年度2018年度がスタートしました。
 これからいつものようにたくさんの転入生を迎えることができると思います。

 多くの皆さんは、先月までは中学生でした。皆さんは高校進学にあたって、誰もが「友だちができるだろうか」とか「勉強についていけるだろうか」ということについて不安をもっていたと思います。
 勉強もちょっとだけ難しくなるかも知れません。まわりからも「高校生なんだからもう子どもではないよ」と言われるかも知れません。
 人への態度も、たとえば言葉遣いなどを含めて、これまでよりはバージョンアップしなければならないですね。しかし、もし皆さんが友だちができるかな、とか勉強は難しいのでは、という不安を持っていたとしてもあまり心配しないでください。やさしい先輩、いいスタッフがいます。もし不安や困ったことがあれば何でも担任や、ここに座っている先輩にたずねてください。きっとやさしく親切に答えてくれると思います。
 
 この機会に、札幌自由が丘学園の理念と目標について触れておきたいと思います。
 三和高校の前身はフリースクールでした、フリースクールは25年間の歴史をもっています。今の学校にはどうも満足できない、なじめないという子どもたちのためのフリースクールからのスタートでした。
 その後、「高等部」をスタートさせ、9年前の4月、和寒町の協力があって札幌自由が丘学園三和高等学校を開くことができました。2009年のことでした。皆さんはこの高校の第10回目の入学生です。

 私たちの高校は、他と違うところがいくつかあります。
 多くの学校は、「君はこの成績だからこの高校だよ」といわれて入ってきた生徒たちがほとんどです。しかしここは、人数は少ないが実に多様な生徒がいます。
 勉強のできる人もいます。反対に少々遅れている人もいます。非常に個性豊かな人がいます。

 25年前、私たちは私たちが開く学校を「自由と共同の学校」にしていこうと決めました。だから、こまごました校則はつくっていません。生徒の皆さんの自由と自主を大切にしています。この考えはフリースクールであっても高校であっても変わっていません。
 そして「共同」とは、生徒どうしの共同、皆さんを支えるスタッフや父母、地域の人たちの共同、そして生徒と大人たちの共同、三和高校の「和」の意味でもあります。この自由と共同の学校でみんなが元気を取りもどしています。

 この機会に、皆さんに、高校生になってこれだけはおさえて欲しいと思うことを2点強調したいと思います。
 第一は、勉強に対しても、あるいはその他皆さんの趣味を深めることなど、何かに対して「やる気」を持って欲しいということです。意欲を持って欲しいということです。
 第二に言いたいことは、皆さんが将来どう生きるか、何をめざすか、といった将来への夢を考える時期だということです。焦らなくともいいから、「吾何をなすべきか、どう生きるべきか」を折に触れて考えながら、自分らしさの基礎を固める3年間であって欲しいと思います。

 入学式での生徒数は少なくとも、これまでの例では今後多くの転入生などを迎えることになると思います。いろいろな高校で傷ついたり疲れたりして方向を変えたいという高校生が少なくありません。そして3年間の三和高校での高校生活を終えて次ぎのステージに向かうときほとんどの卒業生が「三和高校で学ぶことができて良かった、ここがわが母校だ」という感想をもって挨拶していきます。多分皆さんも同じだと思います。

 そして、父母の皆さんへささやかなお願いです。 
 単なる一人の「利用者」としてではなく、学校を共同で動かす当事者という気持ちをもって臨んでいただければ幸いです。 

 さいごになりましたが、この入学式に23名の新しい札幌自由が丘学園三和高等学校の生徒たちの前途をお祝いするためにお集まりいただいた父母、先輩になる在校生の皆さん、そして和寒町の皆さまに、学園を代表して心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 以上をもって、学校長の式辞といたします。

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