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カレーの思い出

三和高校 本間 香菜

札幌自由が丘学園のカレー王子と言えば、フリースクールスタッフの新藤さんですが...。今回は私のカレーのお話。

三和高校は、先週末から1・3年生が夏季スクーリングにでかけています。2年生の生徒と数人のスタッフが残る札幌学習センターはとても静か。そんな中、話題にあがった「カレー」。今回のスクーリングでは、カレーコンテストが行われます。1・3年生の各グループは事前にどんなカレーにするか話し合って行き、最終日には野外での火起こしからのカレー作り。この事から、札幌学習センターでも、カレーの話に。

亀貝先生は、カレーが好きでないことがわかったり、豚肉派、牛肉派、シーフード派などの話が出たり、「私はピーマンが好きだから、ピーマン入れるんだ」「うちはレンコン入れるけど、美味しいよ!」など。様々なカレーの話に。

私の印象に残っているカレーの思い出は、カナダにいた頃の2つの思い出。2014年の春、私はカナダへ飛び立ちました。

最初に滞在したのはトロント。夏の間の3か月間、パワフルなお母さんの元で、ホームステイをして過ごしました。その滞在中に私は、ホームステイファミリーと一緒に様々な料理をつくりました。特に、金曜日はブラジル人のルームメイト'カリーナ'と私の交代でそれぞれの国の家庭料理を作っていました。その中でとても好評だったのが、カレーライスでした。日本にもカレーがあるなんて!と、びっくりしながらも、とても美味しいと喜んでもらいました。日本のカレーが温かい夕食を演出してくれた思い出の夜です。

次に私が滞在したのはバンクーバー。ここでも最初の2か月をホームステイで過ごしました。滞在したのは、インドからカナダに移住したおばあちゃんのお宅でした。ここでの食事は、毎日がカレー味の炒め物や煮物。いわゆる日本のカレーとは全く違い、いろんな野菜がカレー味になって出てくるというイメージ。大きな庭があり、毎日新鮮な野菜を収穫して調理してくれるのですが、味付けはそれぞれ少しずつ違うものの、全てカレー味。イメージしていたインドカレーとも全く違いました。「インド料理は全部カレーなのよ。」(※カレー味=カレー)と言われた日は衝撃でした。あの頃、毎日食べていた、私にとってはカレーのようでカレーでないカレー。思い出すと、また食べたくなるなんて不思議ですね。

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久しぶりの「ハゲ」という単語

亀貝 一義

頭髪が薄くなり出したのは今から40年ほど前からでした。そのころ、しばしば「ハゲてきましたね」とか、「あまりハゲないように今から毛生え薬を使った方がいいですよ」とかいうちょっとした冷やかしとか、またちょっとした忠告とか、耳にすることがありました。

その後「ハゲ」だけでなく、身体に関する昔からの気持ちを不快にさせるような語はどんどん消えていきました。聴覚、視覚などの不自由を表す語、歩く場合の障害を表す語、そして顔(容貌)関連の単語です。怪異の容貌をもつ「ノートルダムの○○○男」とか、視力はないがものすごい剣のウデをもつ座頭市など、多分これからはそのままの形では映像として流されることはないのではないでしょうか。

しかしながら(ここからが本文)つい最近、この「ハゲ」という私にとってはあまり気持ちのよくない単語がテレビから突然流れてきたことで少々驚いたり、懐かしい語として受け止めたりしました。
ご存じでしょうが、自分の年長の男性秘書を徹底的に罵倒し、あまつさえ傷まで負わせた自民党の(今は離党しているようですが)豊田真由子衆院議員のセリフでした。

週刊誌報道では豊田氏は後部座席から「このハゲーーーっ!」「ちーがーう(違う)だーろーーーっ!」などと運転中の秘書を罵倒し、頭や顔を数回殴り、ケガを負わせたとのこと。

この非常識きわまりない衆議院議員の豊田氏は、東大卒業でアメリカのハーバード大学大学院に入学してその大学の「修士」号を持っているというスゴイ学歴をもった女性議員ですが、人格はオソマツ女史というべきでしょうね。

彼女はあらためて、ハゲという懐かしい語を思い出させてくれて、同時に人はその学歴などで評価できないのだということを、身をもって教えてくれた「反面教師」議員でした。

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元ボラスタの中神さんの開いた「おうちごはん『野の』」

亀貝 一義

フリースクール札幌自由が丘学園のスタート以来20年以上、ボランティアスタッフとして「表現活動」を担当してくれていた中神治夫さんが、この6月に標記のお店を開きました。

開店の日に行くことはできなかったのですが、17日(土)に妻といっしょに伺うことができました。あまりなじみのない「定山渓街道」に出て、簾舞中学校を目印に左折。舗装道路ともお別れしての砂利道、行き交うクルマがいれば交差できるかなと心配しながらの山道を15分ほど。「道を間違ったかな」とブツブツいっていたら左側に案内状にあった建物にたどりつきました。

靴を脱いでおうちに入って、挨拶してメニューにある食事を頼みました。いつも行っている学園のとなりのお店にある定食メニューにあるごはんのようなメシ一膳。

自然農法を充分研究し、この立場からの料理とのこと。これがおいしいこと。誇張でなく「こんなにおいしい自然食品系のメシは初めて」という感想です。お代わりもしました。あるいはいわゆる自然農法で育てた素材を使うとそもそも(安倍首相的な用法?)おいしい物になるのか、とすら思ったものでした。「おふくろの味」の最高級品と言えば当たっているでしょうか。

これを食べて、ユネスコの「世界遺産」に「和食」が登録された理由も分かったような気がしました。

中神さんが人生の次のステージで、奥様と一緒にチャレンジしようとした事業の一端を垣間見る思いでした。
なお、私たちの行った時刻、ほぼ席がうまるほどのお客さんでした。また、このとき、私が30年以上前に北海道私学教祖の仕事をしていたころにいろいろご協力をいただいた人に偶然会うことができ「旧交を温める」「久闊を叙する」ことができたことも特記しておきたいと思います。なお中神さんはこれからも時間をつくって「ひとり芝居」などを演じていくとのことです。

「おうちごはん『野の』」のサイトはこちらです。 http://nonoikeda913.wixsite.com/nono

「和食が世界遺産に登録されました」のサイトはこちらです。
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/

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学校行事に思うこと

三和高校 桑名八重

先日、札幌自由が丘学園では「豊平川河川敷 ウォーキング」を行いました。

札幌駅北口近くの学園を出発して豊平川河川敷に入り、ウォーターガーデンで折り返し。
往復約16キロの道のりです。

まあ、予想通り生徒たちは結構(かなり?)ぶーぶー文句の嵐。

歩くことに意味あんの? (・・・健康のため、ストレス発散。)
めんどくさい!(それ、何にでも言うじゃん!)
だるい!(そーだね~。やるしかないよ~)

かなりいろいろなことを聞きました。

欠席者はまあ、これも予想の範囲内かな。と

当日はとても晴天が続きの中てくてく。
午後になり帰り道の途中で風が強くなり、気温も下がって曇り空に。
なんとか雨に降られず、ほとんどの生徒が学園に帰りつきました。

在籍している生徒たちは知りませんが、学園はかつて「強歩遠足」を続けてきました。
真駒内~支笏湖畔までの34キロの山道。
アップダウンの厳しい道のりを私も黙々と歩きました。
卒業生にとって、在学中は嫌な行事のトップでしたが、思い出話で必ず出てくる思いで深い行事でもありました。

いろいろな事情でお休みしましたが、スタッフは強歩遠足を復活させたいとの気持ちがあります。
確かに辛い。体中痛い。
でも、確実に前に進めばゴールにつくし、ゴール後の達成感も気持ちいい。
歩いている途中の何気ない会話も、一人で黙々と歩きながら考える時間もなんか大事な時間です。
たくさんの保護者・卒業生の協力も得て実施していた強歩。つながりも深まっていたと感じています。

人生でわざわざ30何キロも歩くことなんてありません。
学校だからやる行事のひとつだと思います。

次はぜひ「強歩遠足」やりましょうね。

まずはみんな、16キロ完歩おめでとう!!

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ワーカーズ・コレクティブという働き方

高村さとみ

 先日、ワーカーズ・コレクティブについて話を聞く機会があった。ワーカーズ・コレクティブとは参加者が出資・経営・サービスの提供全てに関わるという働き方である。話を聞いていて、フリースクールに通じるものがあると感じた。
 ワーカーズは全員が経営者であり、運営については話し合いで決めるという。以前スタッフブログにも、フリースクールのミーティングについて書いた。多くのフリースクールが、フリースクールの活動や新たな提案についてスタッフ・利用者が同等の立場で話し合いをして決めている。札幌自由が丘学園も生活のルールを生徒との話し合いにより決めている。前年度のルールと比較して、修正したいことや追加したいことを話し合う。先日ワーカーズについて話をした人は、働き方への賛同というより働く場所を求めて勤め始めたので、そのやり方に戸惑うことが多かったそうだ。入ったばかりの自分に「何かやりたいことはあるか」と聞かれ驚いたり、長引く話し合いにトップの人が決めるやり方の方が楽だと思うこともあったという。前にも書いたが今の学校や会社では自分で意見を出せる範囲は限られている。校則は入学したときから守るものとして存在しているし、(規模にもよるが)一社員が経営方針に口を出せるものではないだろう。私はすっかりNPOやフリースクールのやり方に慣れてしまったが、「自分で変えることができる」という経験は今の社会ではあまりできない。
 だが、それでいいのだろうか。与えられることは確かに楽ではある。ワーカーズでは団体の収入が分配金としてそれぞれに分配される。団体の収入が少なければ当然、各自の収入も少なくなる。また、元々利益をあげることではなく地域に必要なことを地域で補うことを目的としている。それでもニーズを掘り起こして利益をあげる団体はあるが、ワーカーズの勤めで生活を成り立たせることは難しい。自然と主婦の参加が多くなるが、夫婦共働きが主流となりつつある現代では組織づくりが難しくなっていくだろう。ワーカーズの働き方は課題も多い。しかし、話をした人は最初はそのやり方に戸惑いつつも10数年続けているのである。「自分で変えることができる」ことにはそれだけの魅力があるにちがいない。私は話を聞いていて、もっと貪欲に地域のニーズに応えつつも利益を考え、ワーカーズの魅力をアピールしていく人がいてもいいのではと思った。
 経営の難しさについては他人事ではないと胃が痛みつつも、フリースクールに似ているからかワーカーズの働き方は私にとっても魅力的に映るのである。

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「スマホ狂」?時代

亀貝 一義

「狂」という字はあまりいい意味をもっていない。例えば「狂っている」などという言葉でいえば今は使ってはいけない語ではないだろうか。「プロ野球狂」などという語では、プロ野球に熱中している人の意味で、「野球マニア」と言ってもいい。

私はJR通勤なのだが、JRの中ではとにかくスマホを手にしている人が多い。ネコもシャクシもスマホだ。私はこういう現象をずっと昔、チャップリンの「黄金狂時代」などという映画があったことを思い出したが、この語を利用させてもらって「スマホ狂時代」と言いたくなる。

かくいう私も時にはスマホを手にして、メールを見たり、ネットで調べ物をすることもあるから他人ごとではないのだが。

乗り物の混んでいる時に、顔が目の前にあってもスマホをいじっている人がいる。後ろを向いていじればいいのにと思っていたが、後ろを向いてやれば、背中越しで何を打っているか、何を書いているか知られるかも知れないということでこういう姿勢でスマホをいじっているのだと分かる。「こんなに混んでいるときにバカでないのか」と心の中で思っても、それでことさら自分が困らされるわけでもないから「黙認」しているのだが。

車中スマホに熱中している人は男が多いか女が多いか、ざっと数えてみた。気持ちだけではあるが、どうも女性の方が多い感がする。

スマホが普及したり、PCが普及したりで、人びとの受け取る情報は計り知れず多くなっていく。だから自分の好きな分野で言えば、想像できないほどの知識量を持ち合わせている人が多いのではないか。

ずっと昔(1000年ほど昔の平安時代)、ある娘は「本を読みたい、小説を読みたい」と小さな仏像を創って毎日拝んでいた。そして願いが叶って京の都に行くことになって、たくさんの物語を読むことができて幸せを感じ取ったという「更級物語」を思い出したが、何と今は自分の希望が容易にかなえることができるようになったことに感謝したい。この物語の終わりはメデタシではないのだが。

ウチの生徒諸君も授業のないときはスマホを大いに役立てている。授業中、これをいじっている生徒はほとんど見ない。他の高校の先生から「何度注意してもスマホを離さないから、登校したらこれを強制的に先生が預かることにしている」などということを聞いた。こういう「苦労」をしなくてもいいからわが校の生徒はいい生徒だと思っているのだが。

願わくば、スマホ狂時代が多くの国民にとって政治や社会への認識の深まりと社会を少しでも暮らしやすくしていく発信の時代が広がることだが。

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春の再会

                  田房 絢子

生徒と話していると、ふと自分の曇り色の高校時代を思い出します。

あの頃の自分が大嫌いで、なぜだろうどうしようとずっと思っていました。

いつも悩んでいた毎日。日々悩みを見つけようと、そこらへんの道ばたにまで

目を凝らしていた気がします。悩みを食べて生きている生き物ですよ、思春期って。

その経験が後に役に立つことなんてこれっぽっちも分からずにいましたが、

あの時代にどれだけ悩むかが大人になってから大切なことなんだと今では思っています。

なんであんなに悩んでたんだろう?って正直思いますけどね(笑)

そんな高校時代の恩師と先日ゆっくり話す機会を持つことが出来ました。

大人になって、同じ職業に就いたことで見えてくることもあります。

降って湧いてくる思い出話に、久しぶりに時間を忘れました。

そして思ったことは、意外と私はいろいろな経験(明るい意味で)をしていたこと、

あの3年間を混沌とした時間としてまとめてしまっていたことで、

色褪せてしまったことに気がつきました。考えてみれば明らかなんですけどね。

他の人の視点だからこそ発見があることに、また改めて思い知らされた出来事でした。

それにしても、高校を卒業して20年が経ちました。

色褪せずにいる恩師との時間に、春の再会に、感謝感謝です。

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復帰しました~

安齊 裕香

お久しぶりの安齊です。

出産、育児休暇を経て4月から復帰しました。

お休み中連絡をくれた卒業生のみなさん、保護者のみなさん、心配してくれていたみなさん、本当にありがとうございました。復帰後会いに来てくれているみんなもどうもありがとう!!

ゆっくり休ませていただいたおかげで、出産や育児を楽しませていただきました。

子どももすくすく成長しております。

そして、保育園問題。

ニュースで問題になっていることを目の当たりにした日々でした。何箇所も見学に行ったり話を聞いたり、流行りの『保活』を経験しました。都会は大変ですね。

復帰後はワーママとして過ごしていますが、これがまぁおもしろいぐらい大変!

仕事が終わって、保育園に迎えに行って、家に帰ってごはん作って、お風呂入れて、明日の準備をして、寝かしつけて・・・。体力勝負です。せめて実家が近ければなぁ・・・なんて何度思ったか。

でも仕事も子どももどちらも大事なので頑張らなきゃ!!

そんなわけで、帰る時間は若干早いのですが、とりあえず学校にはいますので、卒業生のみなさん、保護者のみなさん、関係者のみなさん、連絡待っていますね。

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「花」と言えば「桜」(「日本の桜」スケッチ)

亀貝 一義

170430 新川の桜.jpg

北海道では、今は桜のシーズンですね。休日にはあちこちで「花見」の宴がもたれています。花といえば桜。

花見というのだから桜でなくともチューリップでもスイセンでもいいのでは、と思うのですが、やはり桜の咲く木の下のパーティでなければムードがもりあがらないでしょう。

いつから「花は桜」というようになったかを少しだけ調べてみました。その昔、奈良時代(710~794)には桜というよりも梅が花の主流だったようです。

有名な「あおによし 奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」の花は梅でした。この梅も遣唐使が中国から持ち帰った花だったといいます。「唐(から)のおみやげ」だったのでしょう。桜はそれから少し遅れて日本に入ってきたとのことです。
「梅の花が咲き誇っている、実にすばらしい、そして今栄えている奈良の都はこの花のようだ」というような意味ですね。

桜を見る会が開かれたのは平安時代(794~1192)になってからでした。この時期から盛んに桜が歌われます。
「世の中に たへて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と在原業平(ありはらのなりひら)は逆説的に桜を歌い上げました。「桜などなければ、心は落ち着いて春をたたえることができるだろうに」。それほど桜は心を騒がせてくれたのでしょうね。

また大伴地主(おおとものじぬし)というひとは
「桜花(さくらばな) 今ぞ盛りと人は言へど 我は寂しも 君としあらねば」と歌って、彼女(恋人)のいないことを嘆きました。

繰り返しですが、「花見」といえば桜の花を見ることです。これは今も昔もあまり変わりありません。一番有名な「花見のイベント」は、豊臣秀吉の「醍醐(だいご)の花見」でしょうか。やはり平安時代に建立された京都にある醍醐寺(世界遺産)で、1598年4月20日(当時のカレンダー)に秀吉は自分に関係のある1000人以上を集めて大々的な花見の宴を催しました。世に言う「醍醐の花見」です。このとき桜を700本以上植えさせたといいます。
このイベントがどれほどすごかったかは想像もできません。
しかし秀吉はこの後まもなく死去し、豊臣氏も桜が散るように衰えていきます。

桜は「散りぎわの美しさ」としてもたたえられます。太平洋戦争の時、多くの若者たちは「同期の桜」を歌って死んでいきました。「咲いた花なら散るのは覚悟、みごと散ろおうよ国のため」と。
桜を愛しても「同期の桜」は二度と歌いたくありません。

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実習生になりました

高村さとみ

 新学期が始まって数日が経ちました。生徒たちはいろいろな春休みの思い出を話してくれます。旅行に行った人、趣味に没頭した人、それぞれ休みを満喫したようです。私はというと、冬休みと春休みに合わせて24日間もの実習に行きました。私は今、社会福祉士の資格をとるために通信制の専門学校で勉強中なのです。フリースクールには毎年実習生の方がいらっしゃいますが、まさか自分が実習生の立場になるとは思ってもみませんでした。社会福祉士の実習としてももちろん学ぶことがたくさんありましたが、「実習生の気持ち」を味わうことができたのもよかったです。
 私は実習先のことを理解するために、その団体の「理念」を知ることが必要でした。理念が前提としてあって、それを実現するために団体の活動があるという理解なのです。それは定款や広報物に書かれているものもあれば、職員の仕事に対する思いでもあります。職員の方の思いを聞くために私は「自分の団体のことを、全く知らない人に何と説明するか。」と「利用者に将来どのようになってほしいか。」という2つの質問をしました。特に後者は理念に関わる個人の思い、というのがあらわれると思います。実習を終えるころにはこの質問に私自身も答えられるようになろう、と意識して日々を過ごしました。
 もう一つ。一日一日、目標をはっきりさせなければ実習はあっという間に終わってしまうものなのだとも感じました。実習計画に沿って実習先で学びたいことを具体的に考えていったつもりでしたが、日々の中で計画どおりに進められないこと、さらに加えて学びたいことが出てきます。そうしたときに、どう軌道修正して最終的に学びが深まるようもっていくのか。それをしなければ、一日が終わっても焦点のぼやけた振り返りになってしまいがちでした。
 さて、今年は初めてフリースクールの実習を担当します。良いタイミングで「実習生の気持ち」を味わうことができました。実習生がより多くの学びを得られるよう、今回の経験を生かして実習内容を組んでいくつもりです。生徒たちも実習生が来るのを心待ちにしていますが、私も今からワクワクしています。

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