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目指すは不言実行

三和高校 田房絢子

去年から日本語検定を受けているので、漢字や熟語、四字熟語や敬語などを勉強する機会が増えている。漢字は学びなおしの部分が大きいが、四字熟語になると知らないところからのスタートなので、「???」が頭の中を駆け回っている。ただ、驚かされるのが、先人たちの知恵。表現できないものがないのではないかというくらいの数と質の四字熟語が手のひらサイズの辞書にひしめいている。これってあの状況を指しているのでは?とかこれってあの人のことを言うんじゃないの??とか、ページをめくるごとに驚きと面白さが襲い掛かってくる。これは学んでいるというよりもノンフィクションか小説を読んでいるのに近い。ただひたすら読み進めているので、記憶しているわけではない。でもそれなりのインパクトを伴って読んでいるには違いない。でも書いてみてと言われれば、まだまだ書けるレベルじゃない。となるとこれは検定用の勉強になっているのか、なっていないのか・・・。いずれにしても大なり小なり知識を吸収していることには違いないから、と自分にいいわけをして、今週の検定に挑もうと思っている。

また、英語を学びなおそうと大学の講義も受けている。英文法だけでなく言語学や比較文化なども含めて勉強しているので、改めて文字を伴った学びに日々驚かされている。頭でなんとなくわかっていることの中にはわかってないに等しいものもある。これは私の頭の構造からきているのだけれど、耳からよりも目からの情報、特に文章のインプットがないと非常に記憶に残りにくい。なので、教科書を漫然と読んでいるだけでなく、自分で板書をする授業を受けることでより効果的な学びになっている。そして、理屈を踏まえた学びをしないと、本当に身にはならない。これは中学や高校の時が思い出されるのだけど、英語に関してはLessonを4つや5つ、一言一句間違えずに暗記するのは簡単なことだった。全文暗記しているから、テストはほぼ完璧。でもこれって自分にとっては時間がたつと忘れていく勉強に過ぎなくて、内容が極めて薄い方法だった。その一過性の勉強しかしてこなかったことをすごく後悔しているので、学びなおしの今こそ、本当に身になる勉強をしたいと思っている。そして、大人の常套句「毎日忙しいから」と自分にいいわけをせず、今日もまた机に向かおう。そう、気持ちはいつだって前向きなんだけど。

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安倍首相は毎年フリースクールの意義をうたっていた!

NPO法人 フリースクール札幌自由が丘学園 理事長 亀貝一義

安倍首相は、2015年以来「施政方針演説」でフリースクールの意義をうたっていた。しかし、フリースクールへ、あるいはフリースクールに子どもを通わせている父母への経済的支援は、国からは全くない。これってウソの政治といえるのではないだろうか、そう感じたがどうだろう。次に、この4年間の演説を紹介しよう。

平成27年(2017)2月12日 第189回国会における施政方針演説
四 誰にでもチャンスに満ち溢れた日本
(子どもたちのための教育再生)
「娘は今、就職に向けて前向きに頑張っております。」
二十歳の娘さんを持つお母さんから、手紙を頂きました。娘さんは、幼い頃から学習困難があり、友達と違う自分に悩んできたといいます。
「娘はだんだん自己嫌悪がひどくなり『死んでしまいたい』と泣くこともありました・・・学校に行くたびに輝きが失せていく・・・しかし、娘は世の中に置いて行かれまいと、学校に通いました。」
中学一年生の時、不登校になりました。しかし、フリースクールとの出会いによって、自信を取り戻し、再び学ぶことができました。大きな勇気を得て、社会の偏見に悩みながらも、今は就職活動にもチャレンジしているそうです。その手紙は、こう結ばれていました。
「子どもは大人の鏡です。大人の価値観が変わらない限りいじめは起こり、無くなることはないでしょう。・・・多様な人、多様な学び、多様な生き方を受け入れ、認め合う社会を目指す日本であってほしいと切に願っております。ちっぽけな母親の願いです。」と。
否(いや)、当然の願いであります。子どもたちの誰もが、自信を持って、学び、成長できる環境を創る。これは、私たち大人の責任です。
フリースクールなどでの多様な学びを、国として支援してまいります。義務教育における「六・三」の画一的な学制を改革します。小中一貫校の設立も含め、九年間の中で、学年の壁などにとらわれない、多様な教育を可能とします。

平成28年(2016)1月22日 第190回国会における施政方針演説
三 一億総活躍への挑戦
(希望出生率一・八)
子どもたちの未来が、家庭の経済事情によって左右されるようなことがあってはなりません。
ひとり親家庭への支援を拡充します。所得の低い世帯には児童扶養手当の加算を倍増し、第二子は月一万円、第三子以降は月六千円を支給します。
幼児教育無償化の実現に一歩一歩進んでまいります。所得の低い世帯については、兄弟姉妹の年齢に関係なく、第二子は半額、第三子以降は無償にします。
高校生への奨学給付金を拡充します。本年採用する大学進学予定者から、卒業後の所得に応じて返還額が変わる、新たな奨学金制度がスタートします。希望すれば、誰もが、高校にも、専修学校、大学にも進学できる環境を整えます。
いじめや発達障害など様々な事情で不登校となっている子どもたちも、自信を持って学んでいける環境を整えます。フリースクールの子どもたちへの支援に初めて踏み込みます。子どもたち一人ひとりの個性を大切にする教育再生を進めてまいります。

平成29年(2017)1月20日 第193回国会における施政方針演説
六 子どもたちが夢に向かって頑張れる国創り
(個性を大切にする教育再生)
我が国の未来。それは、子どもたちであります。
子どもたち一人ひとりの個性を大切にする教育再生を進めます。
先般成立した教育機会確保法を踏まえ、フリースクールの子どもたちへの支援を拡充し、いじめや発達障害など様々な事情で不登校となっている子どもたちが、自信を持って学んでいける環境を整えます。

平成30年(2018)1月22日 第196回国会における施政方針演説
三 人づくり革命
(多様な学び)
この春から、道徳が、全ての小学校で正式な教科となります。公共の精神や豊かな人間性を培い、子どもたち一人ひとりの個性を大切にする教育再生を進めてまいります。
フリースクールの子どもたちへの支援を引き続き行います。いじめや発達障害など様々な事情で不登校となっている子どもたちが、自信を持って学んでいけるよう、環境を整えていきます。

前川喜平さん(前文科省事務次官)「安倍首相に感謝している」          BuzzFeed News 2017.6.23

何を感謝しているのか?
それは、安倍政権の教育政策。とりわけフリースクール政策、そして給付型奨学金だという。

「私は文科省でずっとフリースクールを認めるべきだ、と言ってたんです。いまの学校制度では対応できない不登校問題をどう考えたときに、学校の外に学校ではない選択肢があっていい、と」

「文科省ではそんなことを言う官僚は少数派だった。ところが、安倍さんはフリースクールを支援しようと、施政方針演説でおっしゃった」

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職員旅行 ー 鎖国と禁教、そして戦争・原爆

nagasaki.jpg亀貝 一義

少々遅きに過ぎた感があるのだが、9月23日から4日間、職員旅行で長崎、熊本、大分の各県を回った。そのレポ。
江戸時代、ただ一つだけ外国に向けての窓口だった長崎、そしてこの長崎は広島とならんで原爆の犠牲を余儀なくされた町でもある。鎖国から開国へ、そして近代化の流れと戦争の惨禍など日本の近代の特性と矛盾をきわめて鋭く描いて世界に示した歴史のいくつかのドラマがかさなっている地域を、駆け足で体験してきた感がする4日間だった。

鎖国・江戸時代の260年間、ただ長崎だけがオランダというヨーロッパ世界に対して門戸を開いていた。この小さな空間から世界がどのように、日本人の目に映っていたのだろうか、また世界の近代化のすさまじい260年間が日本人の意識と感性にどういう影響を与えていたのだろうか、などを知ることは、できるはずもなかったが、そういう問題意識はこれからのテーマになっていきそうな感想だった。

鎖国の時代は厳しいキリスト教禁止政策が徹底されていた。しかしその中でも、かくれキリシタンが子孫代々生き続けていたことも、天草地方での歴史の中で教えてもらった。

杉野さんが、私たち8人(プラス幼児1人)を乗せて、朝早くから夜遅くまで北九州を運転して見聞を広げることに尽力をしてくれたが、その体力と熱意にただ感謝するばかり。

A先生が2歳の男の子をつれて参加された。この利発な子どもはみんなのアイドルになったというか、話し相手になってくれた感がする。どちらが「子守」役だったか、むしろアオト君が主役だったといっていいかも知れない、そんな坊やだった。

「このアオト君が成人になってそのお祝いにカンパイをすることができるとすればその時自分は白寿だ。それまでは元気で生きているよ」という新しい人生目標を見つけることができた。

天候にもめぐまれ、また帰りの九州から東京に向かう飛行機がなかなか激しく揺れてまた一つの体験を重ねることができたような。

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2018 夏の思い出

桑名八重

今年のお盆休み、スタッフはちょっと長いお休みでした。(カレンダーの関係で全員有給取得で長くしました)

さて、長いお休み何しようかな~と始まるまではわくわく考えています。
我が家では真夏のあっつい中、本州への帰省はしない!
わざわざ高い時期に海外やリゾートにも行かない!

ということで結局、前半は田舎の親戚宅に滞在です。しかし、滞在中ほとんど雨・・・。家族ゴルフ(私は行きませんが・・・。)は豪雨の中で行い、予定の庭仕事も進まず・・・。

子どもたちは家の中でストレス爆発。イライラがピークに。                         わがまま言いまくりのちびに、文句たらたらの小学生。
それを見ていた祖父母世代は「まあ、普段一人っ子なんだからこういうのも経験さ~」と笑ってました。
確かに、子ども同士の喧嘩って理不尽だらけです。そんな中でかなり忍耐とか、痛みとか学びますね・・・。
たま~に従兄弟同士必要な時間ですね。

お盆休み後半。
家族の大半は仕事の中、私は友人と遊ぶ約束です。年に数回お泊りです。

2泊3日のうち、2日間博物館に行きました。ほとんど私の趣味です。

1日目は三笠市立博物館。アンモナイトがメインの博物館です。今回は特別展もあります。
雨の中到着すると「こんなに人いるのはじめて見た!!」と失礼な感想を抱いてしまうくらい大盛況!
夏休みだし、お盆ですしね。レンタカーも多いです。
ちびっ子たちは恐竜の骨格や大きなアンモナイトに大興奮です。
特別展、小さなスペースながらとても充実。楽しい!
お天気がよければ野外博物館も行きたかったのですが、今回は断念。
何度行っても面白い博物館です。

20180816_115533.jpg

2日目はお手軽に北海道大学総合博物館。お目当ては前日の続きで恐竜の展示。
しかし、そこにたどり着く前にちびっ子たちはあちこち興味を惹かれるものがたくさん・・・。
各学部の紹介では触ったり、操作したり。
そこに興味を持つか・・・。と親としては意外な発見があったり。
見るだけでなく、触れるって大事ですね。
また、紙飛行機の実演をしてくださる方がおり、一緒に紙飛行機を作成。人生で初めてちゃんと飛ぶ紙飛行機が作れました。これには大人のほうが感動!!・・・ただ、また自力で折ることは難しい。
いろいろな展示のある北大博物館。その時々で興味は違うので、何度でも行きたい場所です。

20180817_114913.jpg歯医者さん好きのわが子は歯科実習の模型にはまりました

今回のお盆休み、近場でいろいろ楽しみました。
子どもが付き合ってくれるうちにもっと一緒にあちこち行こうと思います。

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網走へ

安齊

網走には過去に4年間住んでいたことがあります。小学校6年生から中学3年生まで過ごしました。多感な時期のこの4年間は楽しいことも嫌なこともあり、でもたくさんのことを吸収した日々だったと思います。

部活もやったし、遊んだし、友だちが家出したり、早朝や夜中に海行ったり、流氷に乗り渡って遠くに行ってみたり、塾に通ったり、駅伝に出たり、怪奇現象の起こる不思議な家に住んだり・・・思い出いっぱいです。

そんな思い出の地に2歳の我が子を連れて遊びに行ってみました。

メインはお祭りのつもりでしたが、網走湖でカヌーにも挑戦!!

小さなパドルを貸してもらい、たくさん漕ぎました。緊張して口数は少なかったですが、オジロワシやカモ、コイ、トンボなど見つけては目をキラキラさせ、大自然を満喫したようです。札幌にいると公園程度でしか自然と触れ合う機会がなく、そんな時間もあまり作れなかったりするのでとても楽しい時間でした。

お祭りは、食べたり飲んだりではなく、バイクショーの迫力がありすぎて、そっちのほうが印象的だったようです。

昼から夕方までの半日だけだったので今回はこのくらいでしたが、網走含めて道東は、行きたいところややりたいことがたくさんあります。知床の観光船にも乗せたいし、網走監獄もおもしろいし、釧路川でカヌーしたいし、秘湯もたくさんまわりたい!

住んでいるとあたりまえだったので離れてよさがわかってきた気がします。

でも遠い・・・。

そして、我が子に自然体験をたくさんしてほしいけど、虫が好きじゃないんだよなぁ・・・。

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1945年8月13日

高村さとみ

 お盆前、函館の祖父母を訪ねました。これはその時に父方祖父が話してくれたことです。1945年8月13日頃の話と思います。祖父は函館生まれ、函館育ちで今年90歳になります。戦時中は海軍予科練習生(15期)として茨城の土浦にいたそうです。

 160名で千葉に演習に行き、土浦に戻ろうとした時のこと。駅の都合で次の日の朝まで列車は出ないことがわかった。上官の命令で明朝集合、それまで解散となったが駅は人でごった返していて待合室は使えない。まだ10時くらいのこと。その辺で待機するしかないと思ったが、上品な女性が「うちで休んでいってください」と声をかけてくれ、6人でついて行くことにした。女性はもっと大勢で来てもいいと言ってくれたが、もし食料を分けてくれるとなった時に一人当たり分が多い方がいいと思い、6人で女性の家に向かった。駅から歩いて4、5分。門から玄関まで30mほどもある、絵に描いたような豪邸だった。自分たちは上がらない方がいいのではとためらっていると、女性は母と姉を呼んできて勧められて家に入った。女性は母と姉のことをお母様、お姉様と呼んでいて、また何て上品なのだろうと思った。
 当時の食糧難の状況では考えられないことだが、自分たちのために白米を炊いて出してくれた。この時期に白米を、しかも初対面の自分たちのために出してくれるなど、よほど裕福な家だったのだろう。風呂にも入るように勧めてくれた。しかしここで東京出身の仲間が警戒しだした。警戒心の強さはさすが、東京の者らしい。裸になったところを襲われるかもしれない。そう考えて2人ずつ風呂に入った。
 結局その後も何もなく、朝の5時。豪邸でもてなしを受けたことをみんなに自慢できると考えながら駅に戻った。しかしここで仰天した。駅には人がおらず、一緒に演習に来ていた160名もその荷物もない。驚いていると、No.2の立場である佐藤少尉がやってきた。前の日の夜9時に臨時列車が出ることになり、みんなそれで移動した。佐藤少尉は明朝集合、と命令をした立場なので6人を探しながら駅で待っていた。一体どこに行っていたんだと怒られたが、明朝まで解散と言ったのは佐藤少尉ではないかと言い返した。それから土浦へ移動したところ、荷物を抱えた同期とすれ違った。終戦。家に帰れるのだとその時聞いた。
 函館に戻る途中、たまたま苫小牧出身の者と出会い戦争に負けたことの切なさを語っていると、その者がこう言った。「その切なさはこれから良い思い出になるから、決して忘れてはいけない」
 女性の家を訪れた6人の中に、茨城出身の者がいた。戦後の生活が落ち着いた頃、女性に改めてお礼を伝えようとその者は千葉に行った。駅から踏切を越えて右に曲がり2、3本目の道のあたり。道順を覚えていたのに豪邸は見つけられなかった。2回、一日がかりで探したが、やはり見つけられなかった。

 最後はまるでキツネに化かされた昔話のようで、真相はどうなんだと不思議に思ってしまいます。しかし、祖父にとっては不思議なことなど何らなく、あの時白米を出してくれたことの感動や駅に人がいなかった時の衝撃の方が印象に残っているようです。お盆前に何ともいい話を聞くことができました。

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「台湾」に行ってきました

亀貝 一義

7月末、クルーズの旅ということで、横浜港を出て石垣(台風で沖縄を避けて)、そして台湾の基隆市の二つだけ陸地を歩いて、8泊9日のほとんどは船で過ごすというイベントを体験しました。大した嵐にも遭わなかった(避けた)のでホテル暮らしの感です。

台湾島は政治的には中国に属しているようですが、独立国のようでもあります。基隆(日本語読みでは「きりゅう」、台湾読みでは「キールン」)市は台湾第二の街ということで、ちょっと見では日本の大都市の中にいる感じです。

かつて1895年から50年間、台湾は日本の一部でした(日清戦争後、日本の「植民地」になっていた)。しかしこの間、日本が台湾人をひどく扱ったということもなかったのでしょうか、鳥居なども残っていました。「神社」があったかどうかは分かりません。

そもそも台湾というのはどういう位置にあるのか、どうもすかっとしません。中華人民共和国は「わしらの国の一つの島だ」と言っていますが、台湾では今は懐かしい「中華民国」の国旗が公的な機関には掲げられています。

バスガイドさんは、私たち日本人相手だったのか、きわめて流ちょうな日本語で、日本との関係はいいのです、と言っていました。そして将来の台湾はどういう方向に進むのか「分かりません」とのこと。

日本の企業も進出していますし、店の買い物も千円札で間に合います。しかし「外国」に行くということでパスポートを準備するということはありました。また行きたいか、と問われたら、多分違う国をあげるかも知れません。

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北海道の楽しい100人

高村さとみ

 4月に「北海道の楽しい100人vol.2」というイベントで話す機会があった。このイベントは2か月に1度、北海道でおもしろい活動をしている4名のゲストが15分で自分について語るというもの。もう何度も聞きに行っていて、その度に自分の知らない仕事や活動の話に刺激を受けてきた。まさか自分が登壇するとは!という気持ち半分、参加するたびに「自分だったら何を語ろう?」と考えてもいた。だから声をかけてもらった時には、新しいことに挑戦する時の興奮と緊張感があった。
 これまで保護者やフリースクール関係者の前で話をすることはあったが、このイベントに集まるのは異業種、異年齢の人々が150名以上。15分で語るにはかなり内容を厳選しなければいけない。基本的には自分を語る、なのだがせっかく大勢の人の前に立つのだから、伝えたいことを柱に据えて話そうと決めた。子どもがいる人もそうでない人もいる。不登校の子に関わったことのある人もそうでない人も。ひょっとしたら自分の子どもが不登校だという人も自分が不登校だったという人もいるかもしれない。さて何を話そうか―。
 まずは不登校について共通認識を持ってもらうために、「もし自分の子どもがこんな状況になったら...」という話をした。朝、お腹が痛くなる。「明日は学校に行く」と言うけれどなかなか行けない。昼夜逆転の生活になるかもしれない。親の不安な気持ちを想像し、自分だったらどうするか?を考えてもらった。おそらく車で送って連れていくとかゲームを取り上げるとか、そんなことを考えたのではないかと思う。そして今度は子ども側の気持ちの話。学校に行く、は学校に行かなければいけないという気持ちなのかもしれない。学校のある時間帯に起きているのはつらい。子どもも罪悪感を持っているのだと。あとは自分がフリースクールで働くことになった経緯や出会った子どものことなどを話した。会場のすべての人に共通して伝えたいことというのはかなり悩んだのだが、「大人は楽しい、という姿を見せてほしい」と伝えた。今不登校である子もしんどいと思いながら学校に行っている子も、大人の自由さ、楽しさがせめて希望になると良いと思った。
 かくいう私も日々の中で落ち込んだり、疲れたり、腹が立ったりすることは往々にしてある。しかし子どもと接する上で私自身が元気でいなければならないと思っている。元気になるための方法はまた別の機会に書くとして。今回の話が子どもをあたたかく見守る大人を増やす一助となれば良い。もちろんこうした活動を続けることが大切なのだが。

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「遠友夜学校」って知ってますか? ー 新渡戸稲造が札幌で開いたフリースクールの原型 ー

亀貝一義

新渡戸稲造という人は、5,000円札に描かれている明治期の人物です。岩手の生まれですが、札幌農学校を卒業したクラーク先生の「弟子」につながる人と言っていい人ですし、国際連盟の事務局次長として、世界平和のために活躍した人でもあります。
彼が、妻萬里子(メリー)夫人の実家から送られた遺産1000ドルを原資に、札幌の南4条東4丁目に学校を開きました。これは、主として経済的理由で学校に行けない子どもたちのために準備した夜学校で、「友あり遠方より来たる」から遠友夜学校と名づけました。
スタッフは今でいうボランティアで働く学生たちでした(主として北大の学生)。
この学校は1894(明治27)年から50年間続き、戦争が厳しくなった1944(昭和19)年閉鎖を余儀なくされました。。

私はこの学校こそ、今でいうフリースクールであったと思います。学びの場としてのフリースクールの原型が札幌で誕生したということは、非常に教訓的であると思いませんか。

北海道で最も古い歴史をもつフリースクール札幌自由が丘学園は、今年25周年を迎えます。遠友夜学校の経た歴史の、まだ半分の期間ですが、役割やスタッフの意味からほとんど共通の教訓をもっていると思います。意義を歴史的に確かめながらさらに貴重な教訓を創っていきたいものです。

※ この文は「希望の樹」の最新号の冒頭の文章です。その後、新渡戸稲造関連の集まりに出たこともあって、もっとこの文章に記した意義を広げたいという気持ちになりました。そういうことで「再録」ですがご理解ください。

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ha HA 歯のはなし

桑名 八重

スタッフブログにもちょこっと書きましたが、春はどこの学校も健康診断と歯科検診の時期です。

健康診断は学生のころよりも社会人になってからのほうがより詳しく行いますね。年齢が上がればさらに検査項目も増えていきます。がん検診とか。
学校で受けた健康診断、そんなに重要視していなかったな~というのが今の印象。大学生のころはサボりました。
学生時代の健康は「若さ」で乗り切っていた、と思います。
・・・社会人ウン十年目の今は違います。毎回ドキドキです。

さて、歯科検診。
皆さん、「要治療」とか「再検査」とか、「歯垢あり」とか。そういう健診結果どうしてました?

私の小・中・高時代、「虫歯あり」って結果については「治療」のため歯医者さんに行きました。
私にとって歯医者さんは治療する場所でした。
で、虫歯になってから行くので、常に痛い思いをしておりました・・・。
そのため、歯医者さんは鬼門です。極力近づきたくないんです。

高校卒業以降、歯科検診がなくなり、虫歯を自覚したときに歯医者さんへ1回行ったくらいです。

或る時、検診を受けておかなくてはという事態になり実に7年ぶりに歯医者さんに行きました。
それ以降、現在は3か月に一度通っております。いわゆる「予防歯科」です。
現在の歯科はいかに虫歯・歯周病を作らずに健康な口腔状態を維持するかという考えにシフトしているとか。そのための「予防歯科」です。
「8020運動」を国も進めてます。(80歳で自分の歯を20本維持する)

しかしショックなことにこの1年、私の歯はトラブル続きです。
噛みしめすぎで歯が割れ、想定外の場所に虫歯が発覚・・・。はぁ。とため息ものですが、これまでの経緯をも踏まえて治療方針を検討しているところです。

気を付けていても、やはり長年毎日使っている歯ですからトラブルになるんだな~と実感した出来事です。

歯って、「虫歯だよ」とわかっても今すぐ痛さでどうしようもなくなるってこともなく、歯医者も嫌だしついつい後回しにしがちですよね。
私もそうでした。特に若いころはやりたいこと、ほしいものがたくさんあって歯科治療は後回し、そっちが優先でした。

でも、歯は早くに治療しなくてはとつくづく思います。
ほっておいても良くはならない。それが虫歯です。

学校の歯科検診で「要治療」と謂われたらしっかり治療してください。
未成年のうちは親の責任として、歯医者さんに連れて行ってほしいです。

おいしく食事を摂る。健康な生活の基本です。
そのために、しっかりと歯の健康に関心を持ってほしいと思います。

春の健康診断。
元気に楽しく生活するため、健診結果にぜひ目を向けてください。

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