2011 年 3 月 18 日

震災と戦災

                                                              亀貝 一義   

東日本大震災の惨害は日をおって拡大してくるような気がする。そして原子力発電所の倒壊にともなう問題が重なっている。
この震災の状況は、私の子どものころすべての日本人が直面した戦争と重なる。東北各地の惨状は東京大空襲や広島・長崎への原爆投下後の状況とそっくりだ。食べ物や住むところもなくただひたすらガマンを強いられる。子どもたちはどうしているのだろうか、とかまだ行方の知れない人たちは、とか考えてもどうにもならない問題が次つぎに頭をかすめる。

もちろん、あの戦争の直接の影響は全国に及び例外はなかった。しかし今は被害を受けていない地域は広範囲だ。戦争は「敵」がいるが、震災にはにくき敵はいない。自衛隊や米軍も敵から狙われる恐れはないから、心をあわせて救援に頑張って欲しい。諸外国からの支援も大きい。

東京の知人と電話で話した。スーパーからもコンビニからも、ガソリンスタンドからも物がなくなっているという。東京地区では主として買い占めによることらしい。食べ物は、当面心配はないというのに、我さきにと買い占めに走る。これが被災地の人たちに悪い影響を与えないわけはない。
妙な流言飛語が飛び交う可能性がある。買い占めが展開されるウラには、これに類する根も葉もないうわさがきっかけかも知れない。
政府の強いリーダーシップがますます必要になっている。しかし「原発から30キロは要注意」などと言ったから物資輸送トラックも行かないという。その一方で「微量な放射能など人体に影響はない」という。

その昔「銃後の守り」と言われた。節約してカネを出す、戦地の兵隊さんは、食することがないだろう甘い物を樹液をためて供出したり、タバコの代用品(イタドリの葉)などを子どもたちは集めた。
今これに類する物はただ募金をすることかも知れない。

戦争が終わって何年もたってから「死んだことになっていた父が帰ってきた」などがいくつもあった。その話を聞くたびに「ウチの父も帰ってくるかも」と遺骨が届いていたにもかかわらず私たち兄弟はあわい期待をし続けた。この震災の犠牲になったと思った肉親が一人でも多く生還できるように祈るだけだ。

あの戦災の後、日本は新しい憲法による「再生」を進めた。今の震災を経て、日本はどういうものをつくり出すだろうか。多分これは「高齢者、子ども、病弱な人、ハンディキャップのある人、そういう人たちが大切にされる世の中」への道筋がより大きくなっていくのではないだろうか。その人たちが幸福にならない限り日本の幸福はあり得ないからと、日本人が知りつつあるからである。